天草のお大師さま信仰

「お大師さま」と言えば、一般的に弘法大師(空海)さまをお参りする民間信仰です。

お大師さま信仰は、天草各所にあって、弘法大師は知らないけれど、お大師さまは知っているというほど、天草の伝統文化となり、3月21日はお大師さまの日として、地域を上げてご接待しているところがたくさんあります。

天草と言えば、キリシタンの島というイメージが強いのですが、実際に天草に来てみて感じるのは、キリシタン信仰よりもお大師さま信仰が盛んなことに驚かされます。

 


キリシタン伝来以前の天草の信仰

天慶4年(西暦941年)、天草で最初の寺院が建立された記録があります。

その寺院は、本渡の染岳観音院(そめだけかんのんいん)で、弘法大師を信仰する真言宗でした。現在も山中に修験道のような雰囲気を感じる寺院として建っています。

キリシタンがはじめて伝来したのは、ルイスアルメイダが天草に宣教をしはじめた西暦1566年ですが、それ以前の500年近く、天草中に真言宗の寺院がたくさん建立され、多くの島民たちはお大師さまを熱心に信仰していました。

キリシタン伝来期の天草

永禄9年(1566年)、志岐鎮経(しきしげつね)がルイスアルメイダを天草に招き、それがきっかけとなり、天草中にキリスト教が広がります。

当時の天草には、志岐氏、大矢野氏、栖本氏、上津浦氏、天草氏という有力な五人の武将がいました。天草五人衆と呼ばれ、五人ともキリシタンとなったため、天草の領民はほとんどはキリシタンとなりました。

その時、領主たちが昔からあった神社や仏閣をことごとく取り払い、かわりにキリスト教の教堂を建立し、多くの領民たちが洗礼してクリスチャンネームを持ちます。天草島原の乱で戦死した天草勢1万3千人強はキリシタンでした。

天領時代のお大師さま

天草島原の乱後、天草は幕府直轄の天領となり、代官として鈴木重成公が赴任します。

重成公が天草に赴任した時期は、ちょうど四国八十八ヶ所霊場巡りが全国的に盛んになりはじめた時で、1687年日本で最初に『四国遍路道指南』という、お遍路のガイドブックが真念によって書かれました。

その時代に、鈴木重成公は、天草を八十八ケ町村に分けて統治しています。

そして、キリシタンの教堂の代わりに、曹洞宗と浄土宗の寺院を天草中に建立して荒廃した人心の教化を計ります。

不思議なことに、後から立てた曹洞宗と浄土宗の寺院のほとんどに宗派が違う弘法大師が祀られて、3月21日になると、領民たちが寺院やお堂で、お大師さまのお祭とご接待をしていました。

明治・大正・昭和の大師信仰

江戸の末期、上島の中心に位置する教良木村の庄屋の植村豊左衛門が、息子の不治の病の治癒を祈願しに四国八十八ヶ所霊場巡りをしますが、その時奇跡的に病が治ります。

その喜びから、四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、地元の曹洞宗の寺院の金性寺(きんしょうじ)に新四国八十八ヶ所霊場巡りを作ります。

それが盛んになり、金性寺はお大師さま祭りのメッカとなります。

その後も、天草各所の寺院やお堂の裏山に、八十八ヶ所霊場巡りが作られて、四国から遠く離れてお遍路に行けない離島の天草の人たちは、天草で独自のお遍路をしていました。

平成時代に復興した東寺公認の八十八ヶ所霊場巡り

平成26年5月10日、真言宗総本山東寺より松崎全信僧正が天草にお入り頂き、天草八十八ヶ所霊場が復興致しました。

天草の弘法大師信仰は古くて長いものでしたが、弘法大師が真言宗を開かれた京都の東寺から正式にお入り頂いたのは歴史上初めてのことでした。

それ以来、天草中で白衣を着て巡拝する人たちの姿をあちこちで見られるようになりました。

四国が祈願の遍路であるのに対して、天草は感謝の遍路で、巡拝者たちは風光明媚な天草の海の巡拝を楽しんでいます。




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